うつからの帰り道

うつ状態を経験した理系男子の記録

万人に好かれる必要はないんだ

小中高って基本的にクラスという集団で毎日過ごすからなかなかそうはいかないかもしれないけど、大学に入ってからはぐっと世界が広がって、集団の関係が希薄になると同時にそれぞれの小さいコミュニティの関係はもっと密になる。

だから、みんなに好かれる必要はない。自分を出して、それで気の合う人たちと友達になって楽しい時間を過ごせばいい。気の合わない人とはもう会わなければいい。
大人になると価値観の合う合わないは結構ある。それはなかなか変えられるものではないし無理して変える必要もない。

それともう一つ大事なのはコミュニティを何個か持っておくこと。一つのコミュニティで辛いことがあっても他のコミュニティがあればそこで悩みを相談できたりもする。

こう言うとなにか人との関係を打算的に考えてるみたいに聞こえるかもしれないけど、多くの人が自然とこうしてるものだと思う。



(こうは言ったものの、職場とか、そういった狭くてしかもなかなか抜けられない場所での人間関係は難しいんだよなあ…。僕自身もそれで思いつめてしまったし。)

わがままでいること

わがままって聞くと、やっぱり良くないイメージを持ちがち。わがままという言葉には自分のことばかり考えてるような感じがつきまとう。

でも、僕は良い意味でわがままになりたいと思うようになってきた。
どういう意味かというと、自分の意思ははっきり伝えるという意味で。自分の要求はちゃんと伝えた方がいい。

僕はこれまで、相手の機嫌をとるというか、相手の顔色をうかがう癖があった。自分に自信が持てなかったから、自分の意見を通すのが怖かったのかもしれない。自分を主張しすぎると嫌われてしまうんじゃないかとびくびくしていた。

でも、確かに相手の気持ちを考えるということは大事で、相手を不快にするのはよくないけれど、それで自分が嫌な思いをするのは本末転倒。お互いが考えを言い合って、お互いが納得できればそれが一番。

僕みたいな人間はわがままであろうとするくらいがちょうどいい。

僕のこれまで ③大学入学以降(後編)

③大学入学以降(後編)

実家に帰ってから、高校時代の病院とカウンセラーの方にもう一度通うようになりました。

最初は本当に苦しくて苦しくて、何をするのも辛かった。一日中布団の中にうずくまっていた日もありました。
日が経つにつれてだんだんと苦しさが小さい日も出てきたけれど、調子の波はまだまだ大きかったです。調子の波は好不調の波というよりは絶不調か不調かの波でした(苦笑)。

そんなとき、仲のいい友達が連絡をくれました。大学での一番の親友と言える友達かもしれません。彼は共通の友達づてで僕の様子がおかしいことを聞いたらしく、僕のことを心配して連絡してくれたらしいのですが、彼は、彼も同じような状況を経験したことを僕に話してくれ、いつでも連絡してほしいと、力になれることがあったら何でも言ってほしいと言ってくれました。

僕はそれが本当にうれしかったです。何よりも僕のことを理解してくれる人がいるということで大分心が救われました。教授と定期的に連絡を取り合ったことも心の支えになりました。

それからも調子の波はあって順調とは言えなかったけど、だんだんと平均した調子は良くなっていきます。

そして少しずつ、調子が良いと言える日が出てきて、卒業のこともあったから復帰に向けて動き始めました。最初は新幹線で下宿に行くだけですぐ実家に戻ることからはじまって、大学に行く、教授と直接話をする、研究室に顔を出す、そんな風に慎重に段階を踏んでやっと研究室に行けるようになっていきました。

そして、破れかぶれながらも大学を、ついでに研究室も卒業して今に至ります。

復帰するにあたって教授、そして研究に関しては先輩に恩を返しきれないんじゃないかというくらいお世話になりました。
家族や友達、そして病院の先生やカウンセラーの方にも本当に助けてもらいました。
何度も言うけれど僕は本当に人には恵まれる、幸せな人間だと思います。

以上の経験は本当に苦しかったし周りの人にも迷惑をかけたから、良い経験とは口が裂けても言えません。でも、僕はこの経験をこれからの人生の糧にすることはできます。そういう意味では、社会に出る前の出来事でよかった、そう思うのです。

この出来事を振り返って、環境の要因ももちろんあるけど、自分の心身のバランスのとり方は上手ではなかったし、相談するのも遅かったことも原因だったと思います。
あと、これは良いことなのか悪いことなのか分からないけどあまり上を目指さなくなりました。おだやかに過ごせることが一番だと考えるようになりました。成功体験ばかりをして希望で胸いっぱいで社会に出るよりは、失敗をして現実を知ってからの方がいいかな、と失敗した人間なりに考えます。

僕のこれまで ③大学入学以降(中編)

③大学入学以降(中編)

四年目、僕は研究室に配属されました。他にも環境の変化はあったけど、ここではそれは割愛します。

夏、無事に大学卒業後の進路は決まったのだけれど、今思うと僕はそこで燃え尽きてしまっていたのだと思います。試験に向けて勉強すること自体はそこまで辛くは感じなかったし、むしろ好きな科目だけを勉強すれば良かったので楽しくもありました。だけど、試験に対するプレッシャーはもちろん、僕の場合進路に関して迷いがあったのもあって余計に疲れていたのだと思います。合間を見て友達とちょっとした遠距離旅行に出かけたり、ということはしたのだけれど、常に気が張っている状態でした。心を休める暇と余裕が持てませんでした。

そこから休む間もなく研究は卒業論文に向けて本格化し、連日深夜まで研究は続きました。指導教員(教授ではない)からのプレッシャーは大きく、下手なことをいうと罵倒される環境で、研究室はいつもなにかピリピリしていました。さらに毎週週末にはいろいろと進学に向けた準備とか、他にもいろいろしなければいけないことが重なってしまって心と体を休める日がありませんでした。

そして、とうとう僕の心と体に限界が来ます。朝、起きても何もできない。ベッドから出たくないし食欲も全くない。どうにか気分転換しようと散歩してみても何も変わらないしテレビで好きな番組を見ても少しも楽しくないどころか全く内容が入って来ない。そんな日が続きました。

そして僕は先輩にSOSを出し、教授に自分の状況を話しました。教授は大変な人格者で、僕のことを良く理解して下さいました。そして僕は逃げるように両親と実家に帰りました。

僕のこれまで ③大学入学以降(前編)

③大学入学以降(前編)

大学入学にあたって、僕は下宿生活を始めました。


高校時代のこともあって両親は心配してくれていたけど、精神面での問題はなく普通に過ごせていたと思います。高校から同じ大学に入った同級生も割といて、スムーズに大学に馴染むことができたんじゃないかな。

1年目はサークルをしたり友達と旅行に行ったり免許をとったり、のんびり過ごしてた。単位の方も特に問題はありませんでした。

2年目からは新しくバイトを始めました。そのバイトは一年間続けたけど、温かい人たちの中で働くことができたし、今思っても僕は人に恵まれているなあと思います。新しく友達も増えたりして大学生活は楽しかったな。勉強面でも、将来のビジョンが見え始めてやる気がわき始めていました。あ、あと生れて初めて海外旅行に行った。

3年目は大学生活の中で一番充実していたと思います。
サークルや旅行もそうだし、海外の大学にちょろっと行くこともできた。新しいバイトもした。勉強もだんだん面白くなってきて、進級も問題なくできました。

とまあ大学に入ってからの三年間を凄くざっくり振り返ったけど、自分的には充実していたと思います。大学時代に得た一番大きなものは?と聞かれたら迷わず友達と答えます。先輩後輩も含めてだけど、それくらい凄く良い人間関係に恵まれました。

だけど、4年目に入って僕はどん底に落ちることになります。

僕のこれまで ③大学入学以降(前編)

③大学入学以降(前編)


大学入学にあたって、僕は下宿生活を始めました。

 

 

高校時代のこともあって両親は心配してくれていたけど、精神面での問題はなく普通に過ごせていたと思います。高校から同じ大学に入った同級生も割といて、スムーズに大学に馴染むことができたんじゃないかな。

 

1年目はサークルをしたり友達と旅行に行ったり免許をとったり、のんびり過ごしてた。単位の方も特に問題はありませんでした。

 

2年目からは新しくバイトを始めました。そのバイトは一年間続けたけど、温かい人たちの中で働くことができたし、今思っても僕は人に恵まれているなあと思います。新しく友達も増えたりして大学生活は楽しかったな。勉強面でも、将来のビジョンが見え始めてやる気がわき始めていました。あ、あと生れて初めて海外旅行に行った。

 

3年目は大学生活の中で一番充実していたと思います。

サークルや旅行もそうだし、海外の大学にちょろっと行くこともできた。新しいバイトもした。勉強もだんだん面白くなってきて、進級も問題なくできました。

 

とまあ大学に入ってからの三年間を凄くざっくり振り返ったけど、自分的には充実していたと思います。大学時代に得た一番大きなものは?と聞かれたら迷わず友達と答えます。先輩後輩も含めてだけど、それくらい凄く良い人間関係に恵まれました。

 

だけど、4年目に入って僕はどん底に落ちることになります。

 

 

 

僕のこれまで ②青年期(高校)

②青年期(高校)

胸躍らせて高校に入ったものの、少しずつ歯車が狂っていきます。

その高校は割と多くの生徒が有名大学に進学する高校で、最初は周りができる人ばかりに見えました。
高校自体は大分緩かったのだけど、1年生の時ある科目だけかなり厳しい先生がいて、テストテストテスト、そして結果が悪いと膨大な課題。それは週末頑張ってやっと終わる量でした。

僕は毎週それが怖くて怖くて仕方が無くなって、体にも不調がでてきてとうとうSOSを出しました。それ以降精神的な好不調の波が大きくなり、いろいろなことが怖くなって病院やカウンセラーにも通うようになりました。自分はもう高校を辞めたいとか思っていて、自分の将来に関しては絶望しか感じられなかった。。。部活も中学からのものを続けていたけど、中学の頃みたいにのめりこむことはできませんでした。

2年生も好不調の波は有りながらも、なんとか学校に通っていました。でもたまに調子が凄く悪い時は休んだり早退していたから、周りの人は不思議に思っていたかもしれません。先生は知ってくれていたけれども、同級生には言えませんでした。当時は自分の状況を伝えても否定されてしまうような気がして、伝えることができなかったのです。だから、心ないことを言われて傷つくこともありました。まあ誤解されても仕方ないと言われれば仕方ないかもしれないです。親しい友達は気がついてくれていたみたいだけれど。

3年生になると周囲も受験勉強に集中する雰囲気になってきていて、僕も本格的に勉強を始めました。塾も小学校から通っていたところに通い続けていたけれど、半分自習室みたいに使っていて先生に相談をしたり、答案を添削してもらうくらいだったと思います。でもあまり大手の塾や予備校に通う気にはなれなかったなあ。

この頃は調子を大きく落とすことはなかったから、勉強に集中できました。勉強に集中できていたから調子を落とさなかったのかもしれません。

受験勉強は苦労も多かったけど模擬試験の結果は割と良く、第一志望に合格することができました。
大変なことが多かった高校時代だったけれど、最後の最後でご褒美がもらえたなと思います。両親や塾の先生もすごく喜んでくれたので嬉しかった。

こんな高校時代だったけれど、悪い思い出ばかりではありません。もちろん楽しいことも多かったし友達と馬鹿なことをしたり遊びに行ったり、そういうものは良い思い出として残っています。
特に高校時代にできた友達の多くとは今でも繋がりが強いし、人生における大きな財産です。