僕のこれまで ②青年期(中学)
②青年期(中学)
中学校に入った僕はまた小学のときやってたスポーツをしようと思ってたのだけれど、荒れていた中学校ということもあって案の定その部活も荒れに荒れていたから別の運動部に入りました。
今でもこの選択は正解だったと思います。僕と同じような理由でその運動部に入った友達が何人かいて、そのおかげで結構盛んな部活になりました。
塾には継続して通っていたけど、勉強なんて定期試験前だけ。普段は部活ばっかりやっていて、それだけでは物足りず友達と地域のクラブなどにお邪魔して練習したりもしていました。
部員の多さからなかなかレギュラーになれなかったけど、最終学年になると遂にレギュラーになれて地域でそこそこの成績も残すことができたのは嬉しかったです。
今振り返っても、自分はいい人間関係に恵まれていたと思います。
勉強の方はというと小学時代からの貯金もあり定期試験では学年でも一番か二番くらいの成績を残せていたとは思うけど、部活に夢中だったこともあって市内の公立高校にいけたらいいかなあと思っていました。
でも、部活を引退してから、中学入試で落ちた中高一貫校への思いがふつふつとわきあがってきて、その学校に高校から入るべく猛烈に勉強しました。今でもよくあんなに勉強できたなあと思います。高校からの定員はかなり少なくてどこの公立中からも毎年一人合格者がいるかいないかのレベルだったから、終始受かるか不安だったけれど、努力の結果なんとか合格することができました。
僕は中学時代に(恋愛以外は)完全燃焼したという実感があって、高校でも頑張りたいと胸躍らせて中学校を卒業します。
僕のこれまで ①幼少期
ブログを始めたばかりで更新過多…。まあいろいろ考えてたことを整理したいという意味でも始めたブログだからこれもありかな。忙しくなったら更新する余裕もなくなってしまうかも。
さて、それはさておき人生の節目に当たってこれまでの僕について考えてみました。
①幼少期
僕は両親と弟を持つごくごく一般的な家庭に生まれました。家族も親戚も仲が良くて、恵まれた家庭だと思います。
両親は、週末になると僕たちを旅行やイベント等いろんなところに連れて行き、様々な経験をさせてくれました。
あと、よく学年の違う幼馴染と一緒に外を走り回って遅くまで遊んでいた覚えがあります。
小学校に入った僕は勉強も特にせず、宿題を出さないなんて珍しいことではなかったし、習い事も何個は始めたけどどれも長続きしませんでした。僕の両親はそれでも叱ったりせず、良く言えば見守ってくれました。
小学校での僕の転機は、友達が入っていた大きいとは言えない個人塾に入ったことだと思います。それも最初は長続きしなかった習い事の一つになってしまうかも知れなかったのだけれど、僕はその塾の先生に惹かれてちゃんと通い続けるようになりました。
駅前にある大きな塾みたいに中学入試に向かってばりばり勉強するような環境ではなくて、のびのび勉強させてくれるのが僕に合っていたのかな。さぼったりすることもなくはなかったけど。
その先生は僕にとっての恩師で、今でも実家に帰った時には会って話を聞いてもらっているし、アドバイスを貰ったりしています。
あともう一つ転機と呼べるものはあって、それはスポーツチームに入ったこと。毎週週末の土日に小学校で活動する恐らく多くの小学校にあるようなチームで、結構楽しかったです。練習や試合でミスをして監督やコーチに怒られたことなんて数えきれないけど、不思議とやめたいって思ったことは一度もなかったと思います。良い同級生に恵まれたのもあるし、やっぱり試合で活躍したり勝った時の喜びを共有するのは気持ちがいいものだったからかな。試合でいろんなところに行ったり、チームの友達と遊ぶことも楽しかった。送別会で泣いたのは今でも良く覚えています。
小学校高学年になると塾にも通ってたおかげか学校でも少しは勉強ができる方で、折角だしと地域で1番の中高一貫校を受験したけど結果は不合格。受験する時もそこまで思い入れはなくて記念受験みたいなものだったのだけれど、不合格って分かった時なぜか凄く悔しくて泣いてしまいました。滑り止めには受かっていたけれど、迷った挙句普通に公立中に進学することになります。
理解してくれる人
苦しい時、自分だけで考えてるとどうしても悪いことばかり考えてしまってさらに苦しくなったりしました。
頭では悪いことばかり考えちゃだめだと思っていても、やはり心は正直というか、言葉にしにくいもやもやのようなものはいつも残ってた(´Д`;)
でもそんなとき、人と話すことで大分救われた気持ちになりました。
仲のいい友達とか、両親とか、カウンセラーの方とか、先生とか。
解決に向かうようなことは何も話さなくても、話を聞いてもらって、中には理解してくれたり共感してくれる人がいて、凄く心が楽になりました。
なんでなのかはよくわからないけれど、自分の悩んでいることは何もおかしいことじゃないんだとか、自分だけじゃないんだとか、そういう気持ちになれた。
悩みの種がなくてもずっと一人でいたらどうしても気持ちが暗くなってしまうこともあります。
人と話すっていうことをもっと大事にしたいな。
元気でいることが一番だから
まだまだ僕は若造で、これまで経験してきたこと、成し遂げてきたことはそんなに多くないけれど。
これまでの人生、走り続けてきた。上ばかりを目指してきた。
さっきも言ったけど大したことをしたことはない。でもスポーツでも勉強でも、結果を出すことに凄く執着してた。執着してたというよりは出さないといけないっていう脅迫感に襲われてた。
自分でもなんでこんな生き方をしてきたのかわからない。両親もいろいろ自由にやらせてくれる人だった。もちろんこの生き方によって得たものも多いかもしれないけど、犠牲にしてしまったものも大きい。
僕はもう疲れてしまったのかも…
これは僕が無理をしてとうとう駄目になった時、実家の布団でうずくまりながら考えたことです。
走り続けた結果、限界が来てしまった。
車で言うと、ガス欠。
どこまでも走り続けられる凄い人もいるんだろうけど、僕にはもう無理でした。
辛いことっていっぱいいある。
苦しいときもたくさんある。
仕事、学校、人間関係、とかとか。
プレッシャーが大きかったり、体力的にしんどかったり、環境になじめなかったり、認めてもらえなかったり。
精神的に参っちゃう要因っていっぱいある。
そりゃ少しのことは耐えられるけど、耐えられなくなるときもある。
でも、どんなに辛くても苦しくても、自分を責めるのはやめよう、自分だけは最後まで自分の味方でいてあげよう。そう思うようになりました。
時には逃げることが最善であることもある。
周りどう思われるかとか、迷惑掛けるんじゃないかとか、それまで大事にしてきたものを失うんじゃないかとか色々考えるけど、一番大事なのは自分が元気でいることだから。
自分がまた元気になったら、困っている人を助けてあげればいい。
自分を他人と比べないで。見栄なんて気にしないで。現状に満足して。これまで頑張ってきた自分を褒めてあげて。